旅愁鉄道

旅愁漂う鉄道!国鉄及びJRについて語ります。

ED71(2次形)登場!

f:id:jnron1991:20180528042020j:plain国鉄ED71(2次形)交流電気機関車(KATO製品)

ED71は、初の量産型50Hz用交流電気機関車です。昭和34年から昭和38年までの間に、試作機3両を含む計55両が製造されました。車体前面は、重連総括制御を行うために、貫通形になっています。整流器は、3両の試作機の試験の結果、風冷式エキサイトロン水銀整流器を採用しています。主電動機は、D級交流機関車としては国内最高出力510kwのMT101形(歯車比1:5.47)がED71専用に開発されました(定格総出力2040kw)。

第1次量産機は昭和35年1~3月に4~32号機が、第2次量産機は昭和36年1~3月に33~44号機が製造されました。外観の特徴として、車体側面の通風用ルーバーが2箇所、田の字に配置されています。第3次量産機は昭和37年9月に45~49号機が、第4次量産機は昭和38年9月に50~52号機が、第5次量産機は同年11~12月に53~55号機が製造されました。外観の特徴として、車体側面の通風用ルーバーが明かり窓と同じ高さの一段のみとなりました(第1・第2次量産機を1次形、第3・第4・第5次量産機を2次形とも言う)。

ED71は、昭和35年4月1日よりシリコン整流器の新鋭ED75が登場する昭和40年2月まで黒磯~仙台間の全客貨列車を牽引しました。

ED71は、昭和39年10月1日ダイヤ改正で新設された東北初のブルートレインはくつる」(黒磯~仙台間)に投入され、翌昭和40年の盛岡電化時に運用区間の拡大が検討されましたが、冬期のエキサイトロン凍結の可能性から、運用区間は黒磯から仙台(一部は小牛田)までとされ,仙台~盛岡間はED75が牽引しました。

昭和43年10月1日のダイヤ改正の青森電化以後はED75が大量増備されて、「はくつる」運用は交流全区間(黒磯~青森間)がED75となりました。その後、昭和53年から余剰機の廃車が始まり、昭和57年11月22日に黒磯~福島間で普通列車1往復を牽引したのを最後に、全機運用を離脱・廃車となりました。

しかし、ED71は昭和35年から昭和57年の間に、以上述べた寝台特急はくつる」を始めとし、急行「みやぎの」「鳥海」「出羽」「男鹿」「吾妻」「ばんだい」「青葉」「ひめかみ」「松島」「蔵王」「八甲田」「津軽」[北星」「新星」を牽引し、大活躍しました。

このうち、KATOからNゲージで製品化されているED71(2次形)及び急行「津軽」の編成を以下に示します。

 

急行下り「津軽1号」上り「津軽2号」の昭和46年10月1日から昭和50年3月9日までの運用。

上野~青森間

(上野方)マニ37+マニ36+④スロフ62+⑤オロネ10+⑥スハネ16+⑦スハネ16+⑧オハ46+⑨オハ46+⑩オハ46+⑪オハ46+⑫スハフ42

(牽引区間)上野~EF57~黒磯~ED71~福島~EF71~山形~DD51~秋田~ED75-700~青森

*マニ37は上野~秋田間。

*⑧~⑪号車はオハ47の時がある。

*⑫号車はオハフ33の時がある。