旅愁鉄道

旅愁漂う鉄道!国鉄及びJRについて語ります。

EF62(前期形)登場!

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国鉄EF62(第1次量産機)直流電気機関車(KATO製品)

EF62は、昭和37年5月に、試作機1号機が誕生しましたが、長野電化開業・碓氷新線EF63協調粘着運転用として急勾配克服用の様々な装備のほかに、直流電気機関車初の客車暖房用交流電動発電機・重連総括制御・勾配抑速発電ブレーキ付きの画期的な電気機関車(主電動機MT52・歯車比1:4.44)でした(定格総出力2550kw)。

翌昭和38年3月~8月に、試作機をモデルチェンジした第1次量産機23両が製造されました。主な変更点は、運転整備重量を96tとするために4tの死重を搭載・運転窓の水切りの設置・車体側面の上部に採光用のFRP製固定窓の設置・屋根上の大型鋼板製モニタ屋根が放熱通風器の改良により車体全高が51mm低くなったこと等です。

昭和39年から昭和44年の間、マイナーチェンジにより車体外観が大きく変わった第2次量産機以降、最終増備となった第7次量産機まで、増備の都度、電気部品類の改良がおこなわれました。

急勾配の碓氷線では、勾配を下る上り列車ではEF62の前に2両のEF63を連結して先頭のEF63による総括制御とし、勾配を登る下り列車では先頭のEF62と最後部2両のEF63との間に客貨車を連結して総括制御ができなくなるためにEF62とEF63との連絡用に架線を誘導線とした誘導無線装置を設置しました。

しかし、誘導無線は雑音が多かったため、昭和53年10月から専用のケーブルを使用した漏洩同軸ケーブル方式に変更され、運転室屋根上に無線アンテナが設置されました。

また、昭和61年11月から列車無線使用開始に伴い、運転室屋根上に列車無線アンテナが設置されました。さらに、JR化後の平成2年2月に列車無線用のC’アンテナポールが設置されました。

平成5年に最後まで残った急行「能登」が電車化されるまで、牽引した優等列車は決して多いとは言えませんがEF62は30年の長きに渡って碓氷峠にホイッスルを響かせました。

以下にKATOからNゲージで製品化されているEF62(前期形),国鉄急行「妙高」及びJR急行「能登」の編成を示します。

 

急行下り上り「妙高5号」の昭和51年10月1日から昭和53年10月1日までの運用。

上野~直江津

(上野方)オユ10+マニ37+①オロネ10+②オハネフ12+③オハネフ12+④オハフ33+⑤オハ47+⑥オハ47+⑦オハ47+⑧オハフ33

(牽引区間)上野~EF62~横川~EF62+EF63重連~軽井沢~EF62~直江津

 

急行「能登」の平成元年3月11日から平成5年3月17日までの運用。

(上野方)①スハフ14+②オハ14+③オハ14+④オハ14+⑤オハフ15+⑥オハネ14+⑦オハネ14+⑧スハネフ14

(牽引区間)上野~EF62~横川~EF62+EF63重連~軽井沢~EF62~直江津~EF81~金沢