旅愁鉄道

旅愁漂う鉄道!国鉄及びJRについて語ります。

EF71(1次形)登場!

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国鉄EF71(第1次量産機)交流電気機関車(KATO製品)

昭和43年10月1日ダイヤ改正から、奥羽本線福島~米沢間が直流から交流に転換することになり、この区間の勾配33‰ではED78の重連でも牽引力が不足するためF級のEF71が誕生しました。

昭和43年から昭和48年にわたって、第1次量産機から第4次量産機まで合計15両が製造されました。

基本仕様は、軸重16t・貫通箱型車体・スイーベル式BーBーB軸配置・重連総括制御・主電動機MT52A・歯車比1:4.44・定格総出力2700kw・客車用電気暖房装置付全サイリスタ制御式・勾配抑速用回生ブレーキ付です(第1次量産機から第3次量産機を1次形、第4次量産機を2次形とも言います)。

なお、キハ80・181系上野~秋田間気動車特急「つばさ」の福島~米沢間の補機として、昭和50年11月24日まで活躍したこと。さらに、寝台急行「津軽」「おが」・寝台特急「あけぼの」の牽引にあたった事が特筆されます。

しかし、山形新幹線工事による改軌工事の進展により、平成3年9月までに全機廃車されてしまいました。

NゲージでKATOからEF71(1次形)及び急行「津軽」が製品化されているのでその編成を以下に示します。

 

急行下り「津軽1号」上り「津軽2号」の昭和46年10月1日から昭和50年3月9日までの運用。

上野~青森間

(上野方)マニ37+マニ36+④スロフ62+⑤オロネ10+⑥スハネ16+⑦スハネ16+⑧オハ46+⑨オハ46+⑩オハ46+⑪オハ46+⑫スハフ42

(牽引区間)上野~EF57~黒磯~ED75-0~福島~EF71~山形~DD51~秋田~ED75-700~青森

*マニ37は上野~秋田間。

*⑧~⑪号車はオハ47の時がある。

*⑫号車はオハフ33の時がある。

 

 

 

 

DF200 50番代登場!

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JR貨物DF200 100番代ディーゼル機関車(KATO製品)

DF200は、電気式ディーゼル機関車で、老朽化した北海道のDD51を取り換える目的で製作されました。主電動機は、三相誘導電動機FMT100で定格総出力は1920kwで、1個のインバータで1個の主電動機を制御する1C1M方式を採用しています。

0番代は、平成6年から平成10年までの間に12両が製造されました。主機関はMTU社製の12V396TE14(1700ps)を2基搭載しています。外観上では、スカートがレッドで車体側面にあるJRFのロゴがグレーとなっています。50番代は、平成11年から平成16年までの間に13両製造されました。主な変更点は、主機関がコマツSDA12V170-1(1800ps)に、スカートがグレーに、車体側面のJRFのホワイトになり、RED BEARの愛称ロゴが描かれ(0番代機にも追加)ました。100番代は、平成17年から平成23年の間に23両製造されました。主な変更点は、VVVFインバータのスイッチング素子がGTOサイリスタからIGBTになった程度で、外観上の変更点はありません。200番代が平成28年に登場し、初めて本州の愛知機関区に配備されましたが、保安装置等が変更されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

キハ283系「スーパーおおぞら」登場!

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JR北海道キハ283系特急形気動車 特急[スーパーおおぞら」(KATO製品)

キハ283系は、JR北海道が札幌~釧路間3時間40分台で結ぶことを目的に、キハ281系をベースに改良した制御付振り子気動車です。

特筆されるのは、急曲線対策として新しく開発された自己操舵付台車を採用したことです。年間の霧日数が多い釧路地区を走行するため、前照灯を9灯に増やし、前面の愛称表示器と側面の行先表示器をLED式に変更しています。車体傾斜角度を6度にしたため、冷房装置を床置きとし、低重心化を図っています。駆動用エンジンは、キハ281系と同じインタークーラー及び過給機付の直噴式N-DMF11HZA(355ps)を2台搭載しています。運用開始は平成9年3月22日からです。

平成23年5月27日に石勝線清風山信号場で発生した脱線火災事故で6両が廃車となり、平成25年11月ダイヤ改正で運転最高時速が130kmから120kmに引き下げられ、振り子機能も停止になりました。現在は54両が札幌運転所と釧路運輸車両所に配置されています。

このキハ283系は、NゲージでKATOから製品化されているので、その編成を以下に示します。

 

札幌~釧路間

(釧路方)①キハ283+②キハ282-100+③キロ282+④キハ282+⑤キハ282-100+⑥キハ283

 

 

 

 

 

157系「あまぎ」登場!

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国鉄157系特別準急形直流電車 特急「あまぎ」(KATO製品)

157系は、東武鉄道に対抗して、東京~日光間を準急で結ぶ目的で昭和34年9月22日にデビューしました。車内設備は151系に準じ、車両機器は153系に準じて(主電動機MT46A・歯車比1:4.21)いましたが、日光線の25‰連続勾配に備えて、国鉄初の試みとして、勾配抑速発電ブレーキを採用したのが大きな特徴でした。

157系は、昭和38年1月~3月に冷房設置改造と特急用塗色への変更が順次施工されました。それまで、東京~大阪間で特急「ひびき」に、東京~伊豆急下田間で急行「伊豆」に使用されてきましたが、昭和44年4月25日に東京~伊豆急下田間で特急「あまぎ」となり、安住の地をえました。

そして、昭和51年2月28日に営業運転を終了しました。

この最後の特急「あまぎ」が、NゲージでKATOから製品化されているので、その編成を以下に示します。

 

 東京~伊豆急下田

伊豆急下田方)①クモハ157+②モハ156+③サロ157+④サロ157+⑤サハ157+⑥モハ156+⑦クモハ157+⑧モハ156+⑨クモハ157

 

 

 

キハ181系「つばさ」登場!

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国鉄キハ181系(2次車)特急形気動車 特急「つばさ」(KATO製品)

キハ181系は、非力なキハ80系気動車のスピードアップを目的として、大出力エンジンを搭載して昭和43年10月1日のダイヤ改正で特急「しなの」でデビューしました。

キハ181系は、キハ91系量産先行試作車で試用した数々の新機軸を盛込んで設計され、駆動機関はDML30HSC(500ps)を搭載し、2軸駆動方式、ブレーキ装置は応荷重制御弁付電磁自動空気ブレーキを採用して、時速120km走行が可能となりました(昭和46年製からDML30HSE)。2次車からは、ディスクブレーキとなりました。

キハ181系は中央西線の特急「しなの」の運用が好調だったため、昭和45年2月10日から、奥羽本線を走行する、特急「つばさ」の運用が開始されました。当初は10両編成でしたが、昭和46年7月2日から12両編成に増強され、しだいに、板谷峠でオーバーヒートする事象が増え始め、国鉄はついに、昭和48年10月2日のダイヤ改正から、予備車確保のために1両減車して、11両編成で福島~米沢間にEF71の補機を連結することに決定しました。

この処置は、昭和50年11月25日、485系特急形電車に置き換えられるまで続きました。

しかし、キハ181系は他線区では大きなトラブルはなく、昭和43年から昭和47年までに158両が製造され、北海道を除く全国各地で活躍しました。そして、2010年に定期運用から完全撤退しました。

Nゲージで製品化されているKATOのキハ181系特急「つばさ」の編成を以下に示します。

 

特急「つばさ」の昭和47年3月15日から昭和48年10月1日までの運用。

上野~秋田間

(上野方)①キハ181+②キロ180+③キサシ180+④キハ180+⑤キハ180+⑥キハ180+⑦キハ181+⑧キハ181+⑨キハ180+⑩キハ180+⑪キハ180+⑫キハ181

 

 

 

181系「あさま」登場!

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国鉄181系特急形直流電車 特急「あさま」(KATO製品)

181系電車の車体基本構造は151・161系と同じですが、主電動機MT54(歯車比1:3.50)・戻しノッチ・勾配抑速発電ブレーキを採用したほか、上信越中央東線用車は、耐寒耐雪装備となっています。

181系特急「あさま」は、長野~直江津間の電化により、昭和41年10月1日のダイヤ改正から、上野~長野間で運転を開始しましたが、横川~軽井沢間ではEF63と協調運転を行わないために、編成が8両に制限されていました。そのために、昭和50年6月30日に運転を終了するまで、輸送上の大きなネックとなっていました。

上野方の先頭車クハ180は、EF63と連結するために、自動連結器と制御回路用のジャンパ栓を装備していました。

この181系「あさま」はNゲージでKATOから製品化されているのでその編成を以下に示します。

 

東京・上野~長野・直江津

(上野方)EF63重連+①クハ180+②モハ180+③モハ181+④モハ180+⑤モハ181+⑥サロ181+⑦サロ181+⑧クハ181

*EF63は横川~軽井沢間。

 

 

 

 

DD54(中期形)登場!

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国鉄DD54(第6次量産機)ディーゼル機関車(KATO製品)

DD54は、昭和37年に三菱重工が旧西ドイツのマイバッハ社製のディーゼルエンジン・メキドロ社製の液体変速機を輸入して試作したDD91の試験運用の結果が良好だったために、昭和41年、エンジン(総出力1820ps)・変速機ともにライセンス生産三菱重工業の三原製作所で生産されることになり、その第1次量産機が誕生しました。

しかし、故障が相次ぎ、特に16気筒ディーゼルエンジンのシリンダが破損するトラブルに見舞われました。そのため、故障対策のために、第2次量産機が生産(昭和43年3月)されるまで1年半を要しました。その際、前照灯の位置が運転窓上から腰元におろされヨーロピアンな風貌になりました。

その後、昭和44年に第3次量産機が、昭和45年に第4次量産機が生産されましたが、この間も深刻なトラブルに悩まされ続け、特に推進軸破損のトラブルについては、国鉄技術陣を驚嘆させました。

昭和46年に対策を施した第5次量産機及び第6次量産機が生産され、その際に運転窓がHゴム化されましたが、それでもトラブルは絶えることがなく、国鉄はついにDD54の生産打ち切りを決定しました。

なお、第6次量産機の32~37号機は、20系寝台特急「出雲」牽引のために、元空気ダメ引通し管増設等の改造がおこなわれました。

また、全機共通の装備として、客車用蒸気暖房装置(SG2)を備えていました。

昭和47年3月15日から、20系寝台特急「出雲」を牽引しましたが、以前から製造されていたDD51に形式統一するために、ブルトレ「出雲」及び寝台急行「だいせん」牽引は昭和49年1月でDD51にバトンタッチされました。

そして、昭和53年6月までに全機が廃車されました(第1次量産機を初期形、第2~4次量産機を中期形、第5・6次量産機を後期形とも言います)。DD54は、制作費が高価であるにもかかわらず、余りに短命だったので、国会で追求されるという場面もありました。

Nゲージで製品化されているKATOのDD54(初期形)(中期形)及び寝台急行「だいせん」の編成を以下に示します。

 

寝台急行下り「だいせん3号」上り「だいせん4号」の昭和45年3月1日から昭和47年3月14日までの運用。

大阪~出雲市

出雲市方)マニ61+スユニ60+ワサフ8000+マニ35+①オロネ10+②スロ54+③オハネ12+④オハネ12+⑤ナハ10+⑥ナハ10+⑦ナハ10+⑧ナハ10+⑨ナハ10+⑩ナハフ11

(牽引区間)大阪~DD54~出雲市

*スユニ60は下りのみ大阪~出雲市間。

*マニ61は上りのみ大阪~米子間。