C59戦後形(呉線)登場!
戦前の東海道・山陽本線に君臨し、保守・修繕に手を焼いていた3シリンダのC53を置き換えるべく登場したのがC59でした。そのC53と比較して、以下の点で改良・変更を行いました。まず、3シリンダ式から2シリンダ式としました。ボイラ圧力を14㌔から16㌔にしたために、ボイラ板の厚さが16㎜から19㎜となりました。そのため、重心が75㎜高くなりました。一方、従来通りの1軸従台車を採用したために、機関車の前後方向の重心が後方に片寄ってしまい、従台車に過大な重量がかかってしまうために、ボイラの胴の長さを500㎜延長して6000㎜としました。
また、戦後形は、戦前形で試験的に導入したボイラ燃焼室を標準装備としたほか、多くの改良を行いました(総出力1290ps)。ちなみに、戦後形の全長21575㎜は、我が国最長です。
C59は、戦前から戦後にかけて173両が製造され、北海道・四国を除く全国の幹線の特急・急行に使用されてきましたが、軸重16tの大型機であることが災いして、昭和40年以降は161・162・164号機の3両が細々と呉線の寝台急行を担当するのみとなり、同線の電化に伴い昭和45年9月30日をもって全機引退しました。
Nゲージで製品化されているKATOのその最後の呉線時代のC59、寝台急行「安芸」及び寝台急行「音戸」の編成を以下に示します。
寝台急行「安芸」の昭和42年10月1日から昭和43年9月30日までの運用。
東京~広島間(呉線経由)
(広島方)マニ60+①オロネ10+②オロネ10+③スハネ16+④スハネ16+⑤マシ38+⑥オハネ12+⑦オハネフ12+⑧オハネ12+⑨オハネ12+⑩オハネフ12+⑪スハネ16+⑫スハネ16+⑬オハネフ12
*マニ60はカニ38、マシ38はオシ17、C59はC62の時がある。
*⑪~⑬号車は東京~糸崎間。
寝台急行「安芸」の昭和43年10月1日から昭和45年9月30日までの運用。
東京~広島間(呉線経由)
(広島方)①オハネフ12+②オロネ10+③オロネ10+④スハネ16+⑤オシ17+⑥スハネ16+⑦オハネ12+⑧オハネ12+⑨オハネ12+⑩オハネフ12+⑪スハネ16+⑫スハネ16+⑬オハネフ12
*⑦号車はスハネ16、⑫号車はオハネフ12、C59はC62の時がある。
*⑪~⑬号車は東京~糸崎間。
寝台急行「音戸」の昭和40年10月1日から昭和42年9月30日までの運用。
新大阪~下関間(呉線経由)
(下関方)マニ60+①マロネ41+②スハネ30+③スハネ30+④スハネ30+⑤スハネ30+⑥オハネ17+⑦ナハネフ10+⑧オハネ17+⑨オハネ17+⑩オハネ17+⑪ナハネフ10
(牽引区間)東京~EF58~糸崎~C59~広島~C62~下関
*C59はC62の時がある。
*⑧~⑪号車は新大阪~広島間。