旅愁鉄道

旅愁漂う鉄道!国鉄及びJRについて語ります。

EF65 500番代(P形)登場!

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国鉄EF65 500番代(第1次量産機・P形)直流電気機関車(KATO製品)

昭和38年に登場したEF60 500番代は、もともと貨物用機であったため、連続高速走行が苦手で、主電動機(MT52)の焼損などの故障が多発していました。この状況を一刻も早く打開するために誕生したのがEF65 500番代P形(定格総出力2550kw)です。

そのため、同機は、歯車比を1:3.83に変更し、改良型の抵抗バーニア制御器を搭載し、ブルトレ牽引用の専用設備(20系客車の電源車カニ22のパンタグラフと電源装置操作用回路、及び車掌との業務連絡用電話回線)のほか、昭和43年10月1日ダイヤ改正から20系客車の時速110km運転に備えて、ブレーキシリンダと元ダメ圧力を通常の1.7倍に増圧し、電磁ブレーキ指令回路を新設しています。

EF65 500番代P形は、昭和40年5月~7月にかけて第1次量産機2両(501,502号機)を、同年9月10月にかけて第2次量産機10両(503~512号機)を、昭和41年1月~3月にかけて第3次量産機5両(527~531号機)を製造し、昭和43年6月~9月にかけて0番代第5次量産機8両をそれまでの500番代P形仕様に改造(535~542号機)しました。

Nゲージで製品化されているKATOのEF65 500番代P形、KATOの寝台特急「あさかぜ」及びマイクロエース寝台特急「富士」の編成を以下に示します。

 

寝台特急下り「あさかぜ1号」上り「あさかぜ3号」の昭和47年7月15日から昭和50年3月9日までの運用。

東京~博多間

(博多方)カニ21+①ナロネ20+②ナロネ22+③ナロネ22+④ナロネ22+⑤ナロネ21+⑥ナハネ20+⑦ナロ20+⑧ナシ20+⑨ナハネ20+⑩ナハネ20+⑪ナハネ20+⑫ナハネ20+⑬ナハネ20+⑭ナハネフ22

(牽引区間)東京~EF65-500~下関~EF30~門司~ED73~博多

 

寝台特急「富士」の昭和50年3月10日から昭和51年9月30日までの運用。

東京~西鹿児島

西鹿児島方)カニ24+①オロネ24+②オハネ24+③オハネ24+④オハネ24+⑤オシ24+⑥オハネフ24+⑦オハネフ24+⑧オハネ24+⑨オハネ24+⑩オハネ24+⑪オハネ24+⑫オハネ24+⑬オハネフ24

(牽引区間)東京~EF65-500~下関~EF30~門司~ED76~宮崎~DF50~西鹿児島

*⑦~⑬号車は東京~大分間

 

 

 

 

 

 

 

EF64 1031号機(長岡車両センター)登場!

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JR東日本EF64 1031号機(第2次量産機・長岡車両センター)直流電気機関車(KATO製品)

EF64 1000番代は、昭和55年10月1日のダイヤ改正から、上越線のEF15・EF16・EF58を置き換えるために登場しました(定格総出力2550kw)。

EF64 1000番代は、0番代最終増備と同じ制御機器類が使用され、重連総括制御・勾配抑速発電ブレーキ付きの抵抗制御方式ですが、0番代よりも耐寒耐雪装備を強化して、発電ブレーキの抵抗容量を増大したことが第一の特徴です(主電動機MT52B・歯車比1:3.83)。第二の特徴は、国鉄初となる電動発電機を三相交流同期電動機化して、電機子をブラシレス化したことです。第三の特徴は、KE70・77形ジャンパ栓上部に作業用照明灯を新設したことです。

なお、第1次・第2次量産機には、メンテナンスフリーの電気暖房用電源のサイリスタ制御式静止形インバータを搭載しています。

EF64 1000番代は、昭和55年9月から昭和57年10月まで、第1次量産機から第3次量産機総数53両が製造されました。

JR化後の平成6年、1031号機は、新津車両製作所で新製された首都圏向けの電車を輸送するために、自連・密連両用の双頭連結器に交換されたほか、電車用のブレーキ読み替え装置が追設されました。

1031号機は、上野~長岡間で寝台特急「北陸」「出羽」「鳥海」「あけぼの」を牽引してきました。

しかし、平成26年3月14日で、最後まで残っていた寝台特急「あけぼの」が廃止されてしまいました。このうち、Nゲージで製品化されているKATOのEF64 1031号機、KATOの寝台特急「あけぼの」及びTOMIXの寝台特急[北陸」の編成を以下に示します。

 

 

寝台特急「あけぼの」の平成20年3月15日から平成26年3月14日までの運用。 

上野~青森間(長岡)

(上野方)①オハネフ24+②オハネ25+③オハネ25+④オハネフ25+⑤オハネ24-550+⑥オハネ24-550+⑦スロネ24-550+⑧オハネフ24+カニ24

 (牽引区間)上野~EF64 1031~長岡~EF81~青森

 *①号車はレディースゴロンとシート、⑤⑥号車はソロ、⑦号車はシングルデラックス、⑧号車はゴロンとシート

 

寝台特急「北陸」の平成2年3月10日から平成11年3月12日までの運用。

上野~金沢間

(上野方)①スハネフ14+②スハネ14-700+③オロネ14-700+④スハネ14-750+⑤スハネフ14+⑥スハネフ14+⑦スハネ14-750+⑧スハネ14-750+⑨スハネ14-750+⑩オハネ14+⑪オハネ14+⑫スハネフ14

(牽引区間)上野~EF64-1000~長岡~EF81~金沢

*②、④、⑦~⑨号車はソロ。②号車はシャワールーム付。

*③号車はシングルDX.

 

 

 

 

 

 

 

 

EF64 1000番代(一般色)登場!

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国鉄EF64 1000番代(第2次量産機)直流電気機関車(KATO製品)

EF64 1000番代は、昭和55年10月1日のダイヤ改正から、上越線のEF15・EF16・EF58を置き換えるために登場しました(定格総出力2550kw)。

EF64 1000番代は、0番代最終増備と同じ制御機器類が使用され、重連総括制御・勾配抑速発電ブレーキ付きの抵抗制御方式ですが、0番代よりも耐寒耐雪装備を強化して、発電ブレーキの抵抗容量を増大したことが第一の特徴です(主電動機MT52B・歯車比1:3.83)。第二の特徴は、国鉄初となる電動発電機を三相交流同期電動機化して、電機子をブラシレス化したことです。第三の特徴は、KE70・77形ジャンパ栓上部に作業用照明灯を新設したことです。

なお、第1次・第2次量産機には、メンテナンスフリーの電気暖房用電源のサイリスタ制御式静止形インバータを搭載しています。

EF64 1000番代は、昭和55年9月から昭和57年10月まで、第1次量産機から第3次量産機総数53両が製造されました。

このEF64 1000番代はKATOからNゲージで製品化されているので以下に示します。

 

 

キハ82系特急ディーゼルカー(北海道仕様)登場!

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 国鉄キハ82系(北海道仕様)特急形気動車(TOMIX製品)

戦後、高度成長時代に入り、昭和33年に特急形電車151系が登場すると、非電化幹線に特急形気動車を望む声が高くなってきました。そこで、昭和35年10月に日本で開催される第2回アジア鉄道首脳者懇談会でのPRを兼ねて、国鉄初のキハ81系特急形気動車が誕生しました。

編成は9両固定編成の冷暖房完備で、エンジンは水平DMH17H(180ps)で、台車は空気バネのボルスタアンカ方式を採用しています。キハ81系は、昭和35年12月10日より、客車特急の「はつかり」を置き換えて営業運転を開始しましたが、初期故障が多発して、新聞では特急「がっかり」といわれてしまいました。翌昭和36年10月1日に国鉄史上最大の白紙ダイヤ改正で、キハ81系を徹底改良したキハ82系がデビューしました。

キハ82系は第2次特急と呼ばれ、全国8系統の特急運用が誕生しました。キハ82系は、先頭車が分割併合可能な貫通型となりました。台車はディスクブレーキとなり、ブレーキ装置は電磁速動空気ブレーキを採用しています。

また、寒地向車には、耐寒耐雪装備を追加しています。キハ82系特急形気動車(キハ81系を含む)は、昭和35年から昭和42年まで総数384両が製造され、平成4年3月13日の特急「南紀」まで、32年の長きにわたって四国を除く全国主要非電化幹線で活躍しました。

以下に模型で再現できる基本編成を示します。

 

①キハ82+②キロ80+③キシ80+④キハ80+⑤キハ80+⑥キハ80+⑦キハ82

 

 

 

 

 

 

 

E233系3000番台(東海道線・上野東京ライン)登場!

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JR東日本E233系3000番台近郊形直流電車(KATO製品)

E233系3000番台は、開発あたって、「1、故障に強い車両」「2、人に優しい車両」「3、情報案内や車両性能の向上」「4、車体強度の向上」をコンセプトとしましており、基本的な車体構造はE231系1000番台やE531系0番台と同様ですが、側面衝突事故時における安全対策を強化しています。

また、本系列は、車両機器について、JR東日本として初めて二重化設計思想を採用しています。

さらに、本系列では、E231系で採用した情報制御装置「TIMS」を採用しており、力行及びブレーキ指令は「TIMS」を介してVVVFインバータ制御装置(主電動機MT75・歯車比1:6.06)・ブレーキ制御装置へ伝えるようになっています。台車は、全車にヨーダンパを装着しています。編成は従来どおり基本10両、付属5両で構成されています。

なお、本系列は、平成27年の上野東京ライン開通後から、E231系1000番台と併結運転を行っています。

KATOからNゲージで製品化されている国府津車両センター所属のE16+E66編成を以下に示します。

 

熱海・小田原~高崎・宇都宮間

(熱海方)①クハE232-3016+②モハE232-3416+③モハE233-3016+④サロE232-3016+⑤サロE233-3016+⑥モハE232-3816+⑦モハE233-3416+⑧モハE232-3016+⑨モハE233-3216+⑩クハE233-3016+⑪クハE232-3516+⑫モハE232-3616+⑬モハE233-3616+⑭サハE233-3016+⑮クハE233-3516

*①~⑩号車は基本編成、⑪~⑮号車は付属編成。

 

 

 

 

 

 

EF60 500番代登場!

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国鉄EF60 500番代直流電気機関車(TOMIX製品)

EF60は、F級電気機関車として、保守コスト・軌道負担・乗り心地・粘着力などが従来の物より改善がみられたため、初の先台車無しのBーBーB軸配置2軸ボギー台車となりました。EF60は、昭和35年1月の2両の試作機製作から、同年7月~9月製造の第1次量産機(14両)まで、主電動MT49Bのクイル方式を採用しました(定格総出力2340kw)。

昭和37年5月~8月製造の第2次量産機(32両)から主電動機はMT52(歯車比1:4.44)の吊り掛け方式に変更され(定格総出力2550kw)、以降新型高性能電気機関車の標準となりました。

そして、昭和38年7月~昭和39年3月に第3次量産機(37両)が、昭和39年4月~7月に第4次量産機(16両)が、昭和39年7月~10月に第5次量産機(30両)が製造されました。

また、第4次量産機から前照灯が2灯シールドビームになるなどマイナーチェンジが施され外観は次機のEF65とほぼ同様になりました。

ところで、昭和38年10月~12月に、東京~九州間ブルトレ牽引用の501号機~511号機が、第3次量産機の47号機~57号機を転用して誕生しました(EF60 500番代)。EF60 500番代は、20系寝台特急客車のカニ22に設置された電動発電機のパンタグラフと電源装置操作用の連絡回路及び車掌との業務連絡用電話回路が設定されたため、KE59形ジャンパ栓が設置されました。

なお、昭和39年4月~7月にかけて増備された512号機~514号機については、第4次量産機に準じた車体となったため、次機のEF65 500番代と外観が同様の希少機となりました。東京~九州間ブルトレ牽引は、昭和38年12月20日~昭和40年9月30日までと、短命に終わってしまいました。

Nゲージで製品化されているTOMIXのEF60 500番代及びKATOの寝台特急「さくら」の編成を以下に示します。

 

寝台特急「さくら」の昭和38年12月20日から昭和39年5月30日までの運用。

東京~長崎間

(長崎方)カニ22+①ナロネ22+②ナロ20+③ナシ20+④ナハネ20+⑤ナハネ20+⑥ナハネ20+⑦ナハフ21+⑧ナハネ20+⑨ナハネ20+⑩ナハネ20+⑪ナハネ20+⑫ナハネ20+⑬ナハネ20+⑭ナハフ20

(牽引区間)東京~EF65-500~広島~C62~下関~EF30~門司~ED73~博多~C60~長崎

*カニ22はカニ21の時がある。

*⑧~⑭号車は東京~博多間

 

 

 

 

EF64 37号機(茶色)登場!

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JR東日本EF64 37号機(第5次形ぶどう色2号)直流電気機関車(KATO製品)

EF64 0番代は、昭和39年11月にF型新型高性能直流電気機関車初の山岳勾配線専用の強力形客貨用機として誕生し、試作機2両が奥羽本線福島~米沢間の板谷峠専用として福島第二機関区に配属されました。

EF64 0番代は、EF62をベースにして(主電動機MT52・歯車比1:3.83)重連総括制御・勾配抑速発電ブレーキ・客車暖房用の電気暖房交流電動発電機・耐寒耐雪装備を施していました(定格総出力2550kw)。

第1次形量産機が昭和40年に10両、第2次形量産機が昭和41年に16両、第3次形量産機が昭和43年に2両、第4次形量産機が昭和45年に6両、第5次形・第6次形量産機が昭和46年に9両、第7次形量産機が昭和48年に30両、第8次形・第9次形量産機が昭和51年に4両製造されました。EF64 0番代は、奥羽本線福島~米沢間が昭和43年の交流電化後は主に中央東線中央西線で活躍しました。

このうち、高崎運転所のEF64 37号機は、JR東日本発足後、ATS-P型及び空転検知器が設置され、平成15年4月の全般検査時にぶどう色2号に塗り替えられました。

そして、平成21年3月14日のダイヤ改正から、寝台特急「あけぼの」を牽引することになり、長岡車両センターに転属になりました。

しかし、寝台特急「あけぼの」牽引が1年間で終了したため、翌平成22年3月に高崎車両センター高崎支所にもどりました。

平成21年3月から翌平成22年3月まで、寝台特急「あけぼの」を牽引した時の編成(機関車を含む)がKATOからNゲージで製品化されているので以下に示します。

 

上野~青森間(長岡)

(上野方)①オハネフ24+②オハネ25+③オハネ25+④オハネフ25+⑤オハネ24-550+⑥オハネ24-550+⑦スロネ24-550+⑧オハネフ24+カニ24

 (牽引区間)上野~EF64 37~長岡~EF81~青森

 *①号車はレディースゴロンとシート、⑤⑥号車はソロ、⑦号車はシングルデラックス、⑧号車はゴロンとシート